昭和四十五年一月一日 朝の御理解
X御理解第八十四節
驕りがましい事をすな ものは細うても永う続かねば 繁昌でないぞ 細い道でも次第に踏み拡げて通るのは繁昌ぢゃ 道に草を生やすような事をすな
本年はお互い悟りの年にしたい。どんなによいお話を頂きましても、聞いてからなる程と感じただけではいけん。やはり自分の心から翻然として、そうだと、そうだったかと、私が間違っておったのはここであった、おかげを受けねばならんのはここであったと、いうようにね、やはり、翻然として、自分の心の中に、悟りを開かせてもらうという事。信心は悟りなりとさえ言われとるのですから、それを私共が今年のおかげの元にしてゆかなければならんと思うのです。
今年、どういう信心をって、今年のスローガンにさせて頂きたい、というような願いを持っておりましたら、神様から「松」という字を頂きました。それで、松という字を、これはまあ私共は、松と聞いただけでも、しゃんとする感じですねえ。松という事を大変大事に致しますし、九州の信心は、いわゆる松の信心だと言われております。桂 松平先生の流れをくむ私共の信心ですから、やはり松という事を大事にさせてもらう訳ですが、そういう意味もございましょうけれども、松という字をいつも頂きますと木辺に公という字が書いてあります。これは、私、昨年から、内々、自分の心の中にも、思い続けてきておった事。時には、皆さんにも、それを聞いてもらっておった事、そのような事でありますが、今年は本気で、世のお役に立たせて頂こうと、いわゆる公の事に心を使わせて頂こうと「松」という字を頂いて、そう感じたんです。
いよいよ、まあ大きな心という事にも通じましょうねえ。公な心と、いわゆるいわば自分以外の事に願いを立たせて頂こうと。これは、私の心の中に念じ願って来ておったから、やはりその事を頂いたのであろうかと思います。いつも頂きますように、いうなら、皆が本当の意味で、お役に立ちたい・・・という念願を持たせて頂くんだから、いつも頂きますように、お役に立ちたいというても、それは、どのような事でも、やはり、どのように力がなくても、何がなくても、お役に立とうという精神があるだけでも有り難い。
だから、できるならば、私共が大きな御用に立ちたい、神様に喜んで頂けるような、お役に立ちたいとこう思う訳ですねえ。そのお役に立たしてもらうという事は、自分のやはり、持っているもの、力を持っている人は力をもって世のお役に立たせて頂こう